マリカフェ

世界の色んな料理や面白いレシピを見ると、ついカッとなって作ってしまう、ほぼ好奇心と食欲のみに突き動かされている料理ブログ

かぼちゃとワンタンで作る、パンプキンラビオリ。

パパパパパンプキーン!

かぼちゃの季節再来です。

週末は家族揃ってパンプキンパッチへ。

https://www.instagram.com/p/BakZQgZFmWo/
#pumpkinpatch with a #sanfrancisco view


ゴロゴロ転がる巨大かぼちゃの中から、好きなものを連れ帰ってきました。今年は何を彫ろうかな・・・。

去年はついカッとなって、ポケモンのゴーストタイプのこちらを彫ってみました

ぼんやりした写真だ・・・

しかし張り切りすぎて、ハロウィンよりちょっと前に彫ってしまったため、ハロウィンまでにずいぶん腐ってしまい、当日を迎えることなく生ゴミ行きとなってしまった、幻のパンプキン・・・。

今年はもう少しタイミングを見計らってやろうと思います。

さて、最近ご依頼を受けまして、LIMIAというサイトでレシピをちょこちょこ紹介しています。

前回はパンプキンスパイスパンケーキ、そして今回もかぼちゃネタで、ワンタンで作るパンプキンラビオリについて書きました。

もしよかったら見てみてね〜!

limia.jp

あちらのサイトでは、なるべく専門店に行かなくても、日本の普通のスーパーで手に入るもので世界の色々な料理を作れるように、をテーマに考えています。

で、今回のレシピでは普段入れている材料を一つだけ、すっ飛ばして紹介することになりました。

それはこちら。

アマレッティ、というイタリアのクッキーです。「イタリアのマカロン」と紹介されていたりもしますが、卵白、アーモンド粉、アマレットという杏仁リキュールなどを使った焼き菓子です。

え、ラビオリなのにクッキー?と思われるでしょうが、これを砕いて、隠し味、隠し食感的に、かぼちゃに混ぜるんです!

アマレッティを料理に使う方法は、以前イタリアはトッレ・ペリーチェという山奥村でいただいた、最高に美味しかった玉ねぎ料理のソースにも使われていました。

DSC00021

茶色い粉こながそれ。

marichan.hatenablog.com

アーモンドプードルを炒ってから入れたらどうなるかな〜と試してみたけどいまいちだったり、八つ橋で代用?とも思ったのですが、逆にこちらで手に入らないのでテストもできず。とりあえずここでは抜きにしました。

その代わり、セージ+焦がしバターのソースは絶対外せない!どうもかぼちゃのラビオリには鉄板の組み合わせのようです。初めてこの味を経験した時はホエェ〜とその美味しさに感動しました。ぜひお試しを!


にほんブログ村 料理ブログへ

モンダビ家の葛藤

モンダビ家にまつわる、知られざる家族間のいざこざ。いや、ナパバレーでは実は知られた話かもしれません。

モンダビといえば、日本でも良く知られるワインメーカー。実はあんまり飲めない私、ワインに関しては私が飲んで悪酔いしないのが良いワインだ!ぐらいの認識しかないんですが、モンダビさんのワイナリーは、ナパバレーに日本からのお客さんを連れて行ったりする時に、つい寄ってしまう場所でもあります。

このモンダビさんについて、大昔にこんな面白い記事を読んだことがあります。家族経営だったので色々あったのですね。イタリア移民の話としては想像に難く有りません。

以下、ドットコムバブルに現れては消えた今は無き雑誌「Success」の1998年の記事「Mondavi Family Values:How the California wine makers finally broke a 30-year cycle of jealousy and infighting」から、私がずいぶん茶々を入れた超訳(?!)をご紹介します。

この記事が出た頃(1998年)、既にロバートモンダビ爺さんは85歳。イタリア移民の息子であったモンダビさん、ワインメーカーとして成功をおさめましたが、ここには2世代にわたる兄弟の確執があったのでした・・。

兄ロバート、弟ピーターの確執

モンダビさんのお父ちゃん、チェーザレさんは、息子のロバートにおねだりされて、1943年、カリフォルニアはナパバレーにあったワイナリーのひとつをお買いあげになりました。これでもってワイナリー経営をしようという魂胆です。しかし父ちゃんはロバート君にある条件を課しました。

「息子よ、条件があるぞよ。弟のピーター君と仲良く一緒にワイナリーを経営するのじゃ」

元気いっぱいのロバートはセールスとマーケティングを担当。一つ下の弟ピーターは物静かで、彼はワイン作りを担当。

ロバート君、カリフォルニアワインは将来イタリアやフランスのものを越えるものになる!という希望で胸がいっぱい。そこで、ワイン作りにヨーロッパの手法を取り入れ、さらにセールスやマーケティングにもっとお金をつぎ込もうとします。

しかし慎重なピーター君はそんなリスクは取りたくありません。家族経営の常として、こんな兄弟の間に父ちゃんが「まあまあ」と間に入ることで、ビジネスは何とか回っておりました。しかし父ちゃんが1959年にお亡くなりになると、兄弟喧嘩には歯止めがきかなくなってきます。アーメン。

兄のロバートはワインを売り込もうと、色々なところを旅して周ります。そしてゴージャスなレストランでお食事三昧。保守的なピーター君はそれが気に入りません。

ワイナリーに降り注ぐ血の雨!

そしてとうとう、時は1965年11月、モンダビ一家がワイナリーに集合した時に、血の雨が降ることになってしまいます。2年前、ロバート君が奥さんに、ワイナリーの経費でもってミンクのコートを買ってあげようとしたことを、ピーター君が(いまさらになって)なじります。

ロバート君は「自分達の資金から少しづつためてきたお金だからいいじゃん!」といいますが、ピーター君は攻撃を引っ込めず、とうとう二人のいいオトナは、子供のように取っ組み合いの大喧嘩を始める始末。

ワイナリーの庭で、長いテーブルにテーブルクロスをかけてピクニックをしているところに、ハンチング帽にちょび髭、サスペンダーのついたズボンに長靴下といういでたちのイタリア移民の兄弟が、テーブルの上の食べ物とワインをひっくり返し、イタリアンアクセントの英語で怒鳴りあいながら取っ組み合いをする姿が浮かびます。

最後にはブドウ畑に続く坂を取っ組み合ったままごろごろと転がったのではと想像をたくましくしますが、記事にはそこまでは詳しく書かれておりません。しかも60年代だから服装からして違うかも(多分この想像はゴッドファーザー。笑)

爺さんになったロバート君は30年たった後もそのことをしつこく覚えていて、「本当に腹が立った」といいます。母ちゃんや姉妹たちまでピーター君の味方になり、とうとうロバート君はファミリービジネスから追い出されてしまいます。

当時大学生で、ワイナリーで働くべく修行を積んできたロバートの長男マイケルも、うちのワイナリーでは働かせてやらん、といわれてがっかり。しかしこれがロバート君が立ち上がり、新たなスタートを切るキッカケとなるのであった。じゃじゃーん。

兄弟の確執はロバートの息子にも

ロバート君は1966年に新しいワイナリーを立ち上げます。その後の成功は、言うまでもありません。その後数十年にわたり、ロバート・モンダビといえばナパバレーを代表するワイナリーになりました。

しかしこんな成功をしたにも関わらず、ロバート君、「ファミリービジネス」の真髄は理解しないままになってしまいました。いや、自分の肉親である兄弟とこんな確執を持ってしまったからこそ、自分の二人の息子の間に芽生えてしまった確執にどうやって入っていってよいやら解らなくなってしまったようです。

ロバート君の息子のマイケル君当時55歳とティム君47歳は、ロバート君とピーター君兄弟にそっくりなほど違う性格を持つお二人。

長男マイケル君は父ちゃんに似て、冒険好きで外に出ようとするタイプ。そして父ちゃんのようにちゃっちゃと物事を決め、強引に物事を進めるタイプ。サンタクララ大学で経営学を修め、会社の経営に取り組む前は、12年間ワイン作りをしてました。

弟のティム君はもっとやさしい感じの性格の持ち主。ゆっくりじっくり詳細を考えるタイプ。マイケル君がバイク野郎なら、ティム君は田舎道をお散歩するのが好きなタイプ。

喧嘩っ早いマイケル君と、平和を好むティム君。弟のティム君は、昔ワイナリーで起きた、父ちゃんとおじちゃんの喧嘩が子供心にトラウマとして残っているとか。二人が口論するたびに、おばちゃん達がどかどかとやってきて、今度は自分の母ちゃんを攻め立てるのがたまらなかったとかで、最初はワインビジネスに参加するのも乗り気ではなかったそうな。でも父ちゃんは、そんな心配はいらん、大丈夫大丈夫!というばかり。

家族経営には喧嘩はつき物だとはいうけれど、モンダビ家のはあまりに情熱的な喧嘩だったらしい。さすがイタリア系です。でもティム君、ヨーロッパでワイン作りをする「素晴らしい一家」にめぐり合ったことで、もしかしして、うちだってうまくいくかもしれない・・・と淡い期待を抱き、カリフォルニア大学デービス校(農業でも有名なとこです)を卒業後1974年にファミリー・ビジネスに参加。

実は息子のほかにモンダビ家には、娘がおりました。マルシアさん51歳は兄弟のうち真ん中で、性格的にも二人の中庸を行く感じ。でも「イタリアのファミリービジネス」の常として、父ちゃんは娘をビジネスに入れることなぞ考えてなかった模様です。なんか典型的な古風な頑固オヤジみたいですね。

今は東海岸の広報担当で会社の役員でもある娘さんですが、最初はそんな差別をする親父にムカついていたようです。さらに、そんな差別をされる割に、父と兄弟の喧嘩に割って入らなければならなかったようで結構大変だったみたいです。ちゃぶ台ひっくり返して晩御飯ごとに喧嘩をしている江戸っ子のようですね。ああめんどくさい。

さてトラブルは、マイケル君とティム君が、よりビジネスで力を持つようになってから始まります。モンダビさんも引退するするといいながらなかなか引退せず、後継者もなかなか決めません。とにかく喧嘩が多いので、後継者など決めたらさらに悪いことがおきそうな予感です。

ちなみにロバート爺さんと、長男のマイケル君は、喧嘩っ早いところが似ていて、しょっちゅう喧嘩しまくりだとか。

それを弟のティム君は「ボス猿同士の喧嘩」といって笑います。マイケル君は謙虚に人に質問する、という態度の取り方を知らないし、父ちゃんは父ちゃんで人の話の聞き方を知らないのだそうです。だから二人が会話しようったって成り立つわけないですね。え~、いやだなあ、こんな家族。

家族でセラピー、果たしてうまく行ったのか?!

1980年代になり、長男マイケル君の奥さんイザベルさんは、こんな家族の葛藤が、マイケル君と、マイケル君の息子との関係にも影響を与えていることに気づきます(80年代ですから、息子が髪を逆立てて、ケミカルウォッシュの穴あきジーンズとか履いてぐれていたのかもしれません)。

奥さんは、家族でセラピーに行きましょうと提案します。奥さんの言うことを聞いてセラピーにいったことで、マイケル君は長年父ちゃんから受けてきた批判から気持ちを開放させる術を知ったようです。よかったね。

でもまだまだやらねばならないことが!マイケル君だけではない、モンダビ一家全員がセラピーを受けるのだ!この家族は問題だらけだ!

ということでモンダビ一家に対するセラピーが始まります。話をするにしても、相手が何か言い終る前から、言い返しているという状況(こわいよ~)をまずやめましょう、ということで、相手の言ったことを「自分の口の中でもう一度繰り返してから」返事をしましょうね、という「テクニック」をみんなで勉強しました・・・。

って大丈夫なのか、こんなので。そんな喧嘩っぱやいのは、カルシウムが足りてないんじゃないか?!でもセラピーが終わったら、やっぱり最後はみんなで輪になってハグとかしたんでしょうか。

しかしロバート爺さん、まだ心に大きな重荷をしょっておりました。引退するといっても、やっぱり後が心配なのじゃ。し、しかし将軍さま、このままではお家騒動に・・・。

ということで、モンダビさんは「ファミリービジネスのお悩みお助け」してくれるコンサルタント会社、「ファミリー・ビジネス・ソリューションズ」という会社に助けを求めます。

コンサルといってもITコンサルからシロアリコンサルまで色々おりますが、こんな需要はやっぱりあるのですね。大学のビジネス学科の学部長と、心理学の教授と専門家の3人によるチームの会社なんだそうです。やっぱりビジネスは心理学ですよねー、と私もつくづく思います。3代目のなんとか潰し、とはいいますが、家族経営、やっぱり3代目でつぶれやすいのでしょうか。この会社は「アナタの会社のスムーズな世代交代をお手伝い」するんだそうです。怪しいなあ。

モンダビ一家、教授たちに連れられて2週間の合宿なんかに行ったりします。自己啓発セミナーみたいな感じですね。今後ビジネスパートナーとして、家族としてお互い何がしたいのか、紙に書いてみたりして、それぞれのキモチを確かめ合ったりして、家族はいい雰囲気になってきたようです。

殿、ご決断を・・!

でもやっぱり引っかかるのは、ロバート爺さんがかたくなに引退したがらないこと。それはなぜかというと、引退=弟に追い出されたように、また蚊帳の外においてかれるかもしれない・・というココロの不安があったみたいです。おお、かわいそうに。でもいつまでもこのままじゃいけませんよ!後継者は選ばなきゃ!というので、ロバート爺さん、涙を飲んで・・・・

二人ともCEOにしちゃいました。

∑( ̄□ ̄;)!! 南北朝時代の始まりか?!

ロバート爺さん、「どっちか一人を選んだら、どっちかひとりがワイナリーを出て行ってしまうんじゃないかと心配で心配で・・」と二人を選んでしまった理由(イイワケ)を述べていますが、やっぱり二人同時はダメですよ。二股はいけません。

1993年、モンダビ一家のワイナリーは、株式上場を計画します。これがさらにことを悪くする発端に・・・。

「Opus One」という、モンダビワインでもちょっと高級志向のがありますが、これはBaron Philippe de Rothschildという会社とはじめたジョイントベンチャー。これのための資金が必要になったのです。

でもワイナリーの経営は、投資家に説明するにはなかなか複雑なんだそうです。しかも違う性格のCEOが二人目の前にいるとなると、話を聞きにきた投資家は「???」となるばかり。兄のマイケル君はアグレッシブに、グローバル展開戦略をとくのに対し、ティム君はゆっくりとビジネスを成長させていきましょうね~、なんていうのです。一艘の船の上に何人も船頭がいる状態。ダメダコリャ。

二人の兄弟が悪い「気」を出し合っているのはナパバレーでも有名になってしまいます。それぞれが拒否権を持っているので、お互いの決断を覆しまくるのです。これじゃ冷戦時代の国連安全保障委員会です。おかげで物事は決まらず、ライバルに先を越されたりとビジネスはうまくいきません。

同じ年の10月にワイナリーは上場し、一時は株価も上がったように見えましたが結局は低迷。ここで兄弟はなんとかしなければ、お互いが別の道を行かねば、会社が沈没してしまう~ということに気づきます。

最初は外からCEOを迎え入れることも考えましたが、これには東照宮に控えたロバート爺さんが大反対。そこで兄弟は腹をわった長い長い話し合いの末、ロバート爺さんのところに謁見を賜り、とうとうこう切り出したのでした・・。「父ちゃん!どっちかひとりに決めておくれよ」

聞かれてこんなに気持ちがほっとしたことはない、とロバート爺さんは言います。でも息子達にようやく選択を迫られて「ほっとした」なんて、「責任取りたくない、誰も傷つけたくない」とかいったまま二股かけてる、優柔不断男みたいでたちが悪いと思うのは私だけ?

結局ロバート爺さんは、ビジネスのことを良く知っているマイケル君を選んで一件落着となりました。この決断により、家族の関係も良好になったようです。会社はグローバルにビジネスを広げ、株価もついでにあがっちゃったというような、おとぎ話のようなおまけもついてきます。

「まずはボス、そして父ちゃん」という関係だった父と息子の関係も、「まずは父ちゃん、そして相談役」という形に変わったそうな。そしてロバート爺さんは会長の座には座ったままですが、息子にビジネスを任せ、今では老人向けにワインを楽しむセンターを作ったりしているだけでなく、長年冷戦状態にあった弟ピーター君とも話しをするようになったとかならないとか。

めでたしめでたしでは終わらない

・・・とここまでが1998年の記事。ここではめでたしめでたしで終わってますが、その後も色々ありまして、2004年にモンダビさんのワイナリーは大手企業Constellation Brandsに買収されてしまいました。

結局80過ぎのジジイの性格を変えることなんて無理で、ファミリービジネスコンサルティングもファミリーセラピーも何も役に立たなかったらしい。

モンダビ爺さん、その後も息子達が苦心して作ったワインやビジネス計画について、相変わらず従業員や公衆の面前でこれはダメあれはダメとおおっぴらに批判しまくっていたらしい。老害もいいところや。

買収されてしまうことになったのも、息子たちが金儲けのために安いワイン作りに注力して、モンダビブランドのイメージを陥れたからだ!なんて感じのことを言っています。買収に伴いCEOを辞めた息子マイケル君は暫く爺さんと口もきかなかったようです。

その後兄弟は別々の道を歩み、マイケル君はMichael Mondavi Family Estateを、弟ティムくんは姉マルシアとパートナーを組みContinuum Estateというワイナリーを今でも経営しているようです。モンダビ爺さんは2008年にお亡くなりになりました。

一方モンダビ爺さんと袂を分かつた弟ピーター君は、ファミリービジネスを守り続け、モンダビ爺さんが若かりし頃買って!とパパに頼んだというCharles Krug Wineryは今もこの弟のほうのモンダビ家が経営を続けているようです。そして弟ピーター君というかピーター爺さんは、去年(2016年)2月に御年101歳でお亡くなりになりました。

今回起きたナパ・ソノマでの山火事で、マイケル君のところのぶどう畑はほぼ全焼、残ったぶどうも煙の影響でワイン作りには使えない状況だとか。他の兄弟のところのは大丈夫だったようで、Charles Krugではテースティングルームの売り上げの2割を寄付するとのことでした。

(note.muに以前書いた記事に加筆修正を加えてこちらに移動しました。最近起きた山火事の話についてはこちらも⬇️)


marichan.hatenablog.com



 


にほんブログ村 料理ブログへ

深夜食堂のアレ、その3。タンメン、麺抜きで。

アメリカでも、深夜食堂!

少し間が空いてしまいましたが、見ると食べたくなってしまう、深夜食堂シリーズ。

シーズン4はNetflixのシリーズとして制作されたので、アメリカでも気軽に見られるようになりました。

ちゃんとした英語字幕もついているので、家族全員で楽しめるところが嬉しい。

結構日本のドラマ、いろんな言語で字幕をつけてネットにアップロードされてますよね・・。法律的にはモゾモゾ・・なんでしょうが、字幕を見るたびに、やっている人達のその正確さと手間と情熱に脱帽してしまいます。

そういうのを見て、日本文化が好きになって、YOUが何かしに日本に行ったりするんですものね。

この間は、吉本新喜劇のものすごい渾身の字幕を見て感動しました。

・・と、いつも最初に話が脱線してしまう。

Netflixでリリースされてちょっと時間が立ちますが、最初に公開された時は、周囲でもアメリカ人の友達がわーきゃー結構喜んでいました。

そうでなくても、日本はとにかく食べ物が美味しいところ・・というイメージが、こちらでは普通に浸透しています。いやー嬉しいね。

タンメン、麺抜きで。

 今回はその第一話から、タンメン

キャベツ、もやし、人参、豚バラ肉を炒めて、スープを入れる。

「普段はインスタントを使う麺も、ここでは生麺を使う。その方が、タンメンに合うからね。」

でもお店にくる女性タクシー運転手はるみさんが頼むのがタンメン麺抜き。

夜に炭水化物食べるのはアレだし、野菜を食べているうちに麺が汁を吸っちゃうし・・ということだけれど、麺抜きタンメンには、色々な思いと、思い出が。

 

我が家にはキクラゲがなかったので、普通のきのこで代用。子供にはちゃんと生麺を、大人は麺抜きで。

 

善悪の〜彼岸〜!!!!

 

ホモダホモオの話が今話題になっているけれど、日本は女装して毒舌、というキャラクターで武装してないと、世間に受け入れられづらいのは事実なんじゃないかなぁ・・。そうじゃない人も多いし、夜の街や芸能やってる人だけじゃないのにね。

 

www.maricafejp.com

 

 

にほんブログ村 料理ブログへ

【プロジェクト・エルサレム】27品目:スパイシービーツ、リーキとくるみのサラダ

ロンドンのデリカフェ、オトレンギを展開するヨータム・オトレンギさん、サミ・タミーミさん。エルサレム出身のユダヤ人、パレスチナ人シェフの二人による料理本「エルサレム」を全部作ろうプロジェクト、27品目です!

料理本「エルサレム」は、彼らの故郷エルサレムに住む色々な背景を持つ人々の伝統料理や、伝統的な料理にヒントをえて考えられたレシピがたくさん。アメリカで中東系の食べ物というと、どうしてもケバブとかそういうのになっちゃうのですが、それ以上に奥深い世界を経験できる料理本です。

ちょっと前に中国語版が出版されたんですが、日本語版は出ないのかなー?というか、私が翻訳して出したいぐらいなんですが、こういうのってどうしたらいいの?

さて、今回の主役はビーツ、そしてリーキと呼ばれるぶっといネギです。

ポロネギとも呼ばれていて、私の中では漫画「美味しんぼ」の中で減量中のボクサーが野菜のフルコースを食べる時、コンソメで煮て出てきたのが印象的な野菜です。

ビーツやくるみ、そして豊かなフルーツ・・・これはグルジアからもたらされた食材をヒントに作られたものだそう。今ではGeorgiaと書いてジョージア、と呼ぶ方が一般的になったようですが、どうしてもそれだとジョージア州を思い出してしまう。

日本でもここ出身のお相撲さんがいますね、臥牙丸とか栃ノ心とか!そしてグルジア文字、独特で可愛いです。საქართველო 

エルサレムにもここから多くのユダヤ人が移住してきたそうですが、もともとグルジアにはグルジームという、古い古いユダヤ人コミュニティがあったんだそう。どれくらい古いかというと、6世紀のバビロン捕囚の時にグルジアに行った・・・って、なんだか世界史の教科書の世界すぎる!

とはいえ、現在はほとんどがイスラエルやアメリカなどに移住してしまい、現地に住んでいる人達は1〜2万人ほどになっているのだそうです。

さてこの料理、リーキは湯がいて火を通し、食べる直前にビーツやルッコラ、くるみなどの材料と混ぜ合わせます。

リーキを湯がき過ぎたか、水切りが十分ではなかったか、ちょっとべしょっとしてしまいましたが、上手にプレゼンすると、まるでレストランの前菜サラダのように素敵です。




にほんブログ村 料理ブログへ