料理は形や名前をちょいと変えて世界に広がるという話
日本でも放送されたダウントン・アビー。1920年代のイギリス貴族とその使用人達のドラマです。
周囲の人達がダウントン・アビーやめられない、中毒だと騒ぐので、私はキリがなさそうだしほとぼりが冷めてからにしよう・・と長年よく知らないまま敬遠しておりました。が!
アメリカでは去年3月に最終話が放映され、キリが出来たなら見てみようとストリーミングで見始めたのが悪かった。
見始めたら止まらず、6年分あったエピソードを、ちょっと言えない位のものすごいスピードで見てしまいました。おかげでたちの悪い急性中毒患者に・・。
頭の中ではドラマのテーマ曲とブリティッシュアクセントがぐるぐるまわるまわる・・・。ついLady Maryの口調を真似て子供に冷たく語りかけたところ、ママ怖いとマジ泣きされました(苦笑)
お城の上階に住む貴族と、下階を行き交う使用人たちのそれぞれのドラマにも引き込まれましたが、このドラマは時代考証がしっかりしているのも特徴。
当時のマナーや動作、服装などに詳しい専属の歴史アドバイザーがついており、その人が当時のマナーについて色々解説する番組もあり面白かったです。
ちなみにこのアドバイザーの人、ドラマにもちょくちょくチョイ役で出てくる。出たがりかw これをウォーリーを探せ的に探すのも面白いヨ!
本題の前に・・恐ろしいしきたりの世界
ちなみに食事に関する当時のマナーやしきたり、色々すごいです。
結婚している女性は朝食をベッドで食べても良い(そりゃーいいな!)
執事はテーブルに置かれる皿、ナイフやフォークの角度や距離を画一にするための棒を持っている。それで測りながらカッチリ完璧にテーブルセッティング
女性は食事の時はもちろん、一日に5,6回は着替える(朝食、外の散歩、ランチ、午後の外出、部屋での読書、ディナーなど)。もちろんメイドに着替えさせてもらう。
ディナーのメニューは
オードブル
スープ2種類(コンソメ、ポタージュ風)
魚2種類(茹でとフライ)
メインディッシュ
ロースト(塊で焼いた肉)
サラダ
野菜料理(バターのソテーなど)
デザート
アイスクリーム
フルーツとチーズ
コーヒーにお酒
。。ってこれを毎日?!
お客を呼んでの晩餐会は、夫ではなく妻、つまり女主人が仕切る。女主人が食べ始めないと誰も食事に手を付けられない。また会話の流れやトピックも女主人が決め皆がそれに従う。客は女主人が右側の客と話していれば自分も右側の人と話し、左の人にスイッチしたらそれにならう。これを「Turn」と言う。
食事を給仕する執事、下僕でも階級によって取り扱える料理の内容が違う(階級が上だとメインのお肉、下だとソースとか)。何をサーブできるかでライバル意識がうまれたりしている・・!
他にも色々ありましたが、あーもー色々メンドクセー!!!
もうとにかくカチコチに色々なしきたりがあり、貴族は自分の感情を抑え、富の象徴として何度も着替え、豪勢な食事をとり、食卓でお互いの腹の探りあいをする・・・。
なので、見ていても食事はあくまで小道具、心から楽しんでの食事のシーンは無かったような気がします(お酒はちょっと別かな)。
でも食べ物のことしか考えていないダウントン・アビー急性中毒患者として、もちろんこういうものは入手いたしましたよ。
↑公式料理本も出た模様
クローリー家も朝食に食べたケジェリー
料理本の中から、まずは朝食メニューとして出されるという「ケジェリー」を作ってみました。
塩漬けの魚と、カレー風味の混ぜご飯みたいなもんです。すごく簡単で、みじん切りの玉ねぎ1個をカレー粉大さじ1で炒め、バスマティ米1カップを投入、そこに適当に水を入れて炊きます。
できたら焼いた塩ジャケでもなんでも入れて混ぜます。我が家はティラピアをバターで炒めたのを入れてみました。あとレーズンをオプションで。塩コショウで味をととのえ、上にゆで卵を乗せます。
冷蔵庫がなかった昔、残り物処理的メニューとしても活用されたらしい。カレー粉は英国貴族らしくなく、大阪なんばの自由軒のものを使いましたw
子供に異様に好評でした。
ケジェリーはキチャリー
この「ケジェリー」、実はインド料理の「キチャリー」をイギリス風にアレンジしたものです。
写真はWikipediaより。
こちらは、米と豆を混ぜ、ターメリックと一緒に炊いたもの。地域によって使う豆などのバラエティは様々ですが、それこそ13世紀頃には既に記述がある古い料理です。
なんか時々アーユルベーダ食だデトックス食だと紹介されたりしていますが、まあ豆と米で腹にずーんと来るので、あまりデトックスな気はしませんw
労働者や農民が主食として食べていたものですが、ムガール帝国の王様も、断食月に食べたりしていたそう。これを、インドを植民地支配したイギリス人が、自分ごのみにアレンジしたのが「ケジェリー」というわけです。
東インド会社から始まって、随分長い間インドを支配していたイギリスですが、その間に現地の食べ物も色々試し、中にどんなスパイスが入ってるかよくわかんないけどなんかドロっとしたものは全部「カレー」と呼んでみたり、もっと内容を簡素化してイギリス人の味覚にあうものにしていた模様。
日本のカレーもそういったものがイギリスから流れてきたようです。
キチャリーとコシャリ
さてキチャリーとケジェリー、イギリスとインドなら関係がさもありなん、なのですが、実は別の国でも類似品を食べたことがありまして。こちらです。
子供が生まれる数年前に行ったエジプト、カイロで食べたその名も「コシャリ」。
なんか写真ではよくわからないシロモノですが、内容は「米、短いパスタかマカロニ、レンズ豆を混ぜ、その上に揚げた玉ねぎなどをトッピングしたもの」です。
さらに食べる時には、上からお酢とトマトソースをかけてぐちゃぐちゃに混ぜ、スプーンでザクザク食べます。
至ってシンプル、はたまた残飯かそば飯のような食べものですが、これが意外にうまい。エジプトでは外食のバラエティがあまり無く、でもこのコシャリ屋は結構あって、だいたい30−40円ぐらいで食べられました。
安くて腹持ちが良い、エジプトのB級国民食といったところのようです。
何度か違う店をトライしてみましたが、お店はだいたい日本のファストフードみたいな店構えで、二階席もどうぞ!みたいな感じ。
若い兄ちゃんたちや家族づれ、ベールをかぶった女の子グループがテーブルを囲んでコシャリを食べながらおしゃべり。プラズマTVを入れているところなんかもありました。
コシャリは大中小、スーパー大盛りなどサイズでオーダーします。アメリカのヨーグルトの容器みたいなプラスチックのカップに、このコシャリを入れてテイクアウトすることもできます。
モスクの門番のおっちゃんとか、結構道端のいろんなところでこれを食べてる人達を見ました。人気の店はやっぱりソースにこだわりがあったりするみたい。
エジプトのコシャリは比較的最近の料理らしく、19世紀にイギリス軍が入ってきた時に広まったものだとか。
でも料理の感じからして、イギリスのケジェリーのほうではなくて、インドのキチャリーのほうが入ってきたのだろうか。パスタを入れたりトマトソースを入れるのはイタリアの影響説もあるようです。
アラブの料理にも米とレンズ豆を混ぜたご飯「ムジャダラ」というのがあり、これも上に揚げた玉ねぎをのせるところはコシャリと似ています。こちらは以前レバノン料理屋で頂いたもの。我が家でも時々作ります。
ムジャダラ自体は、13世紀にバグダッドで著された料理本にも記述があるとか。うーん、コシャリは色んな米と豆混ぜ混ぜ料理のいいとこ取りをしたものだろうか。どれも繋がっているんでしょうね。
ケジェリー、キチャリーにコシャリ。戦争や植民地支配や交易で人々が行きかい、食べ物が行きかい、ちょっとずつ形や名前を変えて広がっていく・・。
なんとなく系統が似ている食べ物を、かたやイギリス貴族が相続の話をしながらお屋敷で食べ、インドの農民が食べ、エジプトのモスクの門番のおっちゃんが道ばたで食べ、そしてアメリカに住むアジア系家庭である我が家でも食べ・・・。
一見残飯風(笑)の食べ物ひとつ見ても、壮大な歴史と人々の交流が背景にあると思うと、なんだかいとをかし、です。
(2016年4月にnoteに書いたものをこちらに移動しました。文章が長いかな〜。このフォーマットだと読みにくいですかね。)